表現の自由

 表現の自由とは、精神の自由の一種です。
 表現とは、思想や信仰などの心の中にあるものを外部に公表する精神活動をいいます。
 精神の自由の一種である内心の自由は、他者に伝達することで、初めて真価を発揮することができるものです。その点で、表現の自由は、精神の自由の中でも非常に重要な権利です。
 表現の自由を保障する目的は、次の2点にあるとされています。
・個々の言論活動を通じて、自己の人格を形成していくこと(自己表現の価値)
・政治的意思決定に関与していくという民主政に不可欠なこと(自己統治の価値)

表現の自由の限界と二重基準の理論

 表現の自由は、無制限に保障されるものではありません。他の基本的人権同様に、濫用によって他者の人権を侵害されることがあってはなりません。したがって、公共の福祉に照らし合わせて、制限される場合があります。
 表現の自由の限界を考える上で重要となるのが二重基準の理論です。
 二重基準の理論とは、表現の自由といった精神の自由に関する規律は、職業選択の自由など経済の自由の規律よりも厳格な審査基準が必要だという考え方です。
 二重基準の理論の具体化として以下のような憲法判断があります。

精神の自由を制約する法律の憲法判断

 精神の自由を制約する法律の憲法判断は、裁判所が積極的に介入し、厳格な審査基準の下に憲法判断を行っていくべきである。

経済の自由を制約する法律の憲法判断

 経済の自由を制約する法律の憲法判断は、精神の自由とは異なり、裁判所が積極的に介入するというよりは、国会の判断を尊重していくべきである。

事前抑制の禁止の意義と根拠

 事前抑制の禁止とは、表現行為がなされるに先立って、
・公権力が何らかの方法でこれを抑制する
・実質的に抑制と同視できるような影響を表現行為に及ぼす規制をする
 ということは原則として排除されるべきだという理論をいいます。
 表現の自由に対する事前抑制は排除されるべきだとする根拠には以下のものがあります。
・事前抑制は、公の批判の機会を減少、あるいはなくしてしまう
・規制側の予測に基づいてなされるため、濫用のおそれが大きくなること
・実際上の抑止効果が大きく、国民が萎縮して、表現活動をやめてしまうおそれがある

検閲の禁止

 事前抑制の禁止のあらわれの1つに、検閲の禁止があります。
 検閲とは、一般的な広い意味では国家などの公権力が、出版物などの表現物や言論を検査し、国家に不都合と判断したものを取り締まる行為をいいます。
 判例は、検閲の概念を一般的な意味より狭く定義したうえで、検閲を例外なく絶対的に禁止しています。
 判例が定義する検閲とは、以下の要件を満たすものをいいます。
・行政権が主体となって行う
・思想内容などの表現物を対象としている
・対象となる表現物の全部または一部の発表の禁止を目的として、網羅的かつ一般的に発表前に内容を審査する
・不適当と認めるものの発表を禁止する

検閲に関する判例

関税検査

 関税検査については、判例は、検閲にあたらず合憲であるとしています。

裁判所による事前差止め

 裁判所による事前差止行為は、主体が行政権ではないため、検閲にはあたりません。
 しかし、事前抑制の一形態となるので、判例は、原則として許されないとしています。
 ただし、以下の場合は、例外的に事前差止めが許されるとしています。
・表現内容が真実でなく、又それがもっぱら公益を図る目的でないことが明白であって、
・被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがある
 上記の場合も、口頭弁論、または債務者の審尋を行い、表現内容の真実性等の主張立証の機会を債務者に与えることを原則としています。

教科書検定

 教科書検定については、仮に検定に不合格になっても一般図書として販売することは可能です。つまり、事前に発表を差し止めるというわけではありません。以上の点から、判例は、これを合憲とします。

明確性の理論

 明確性の理論とは、精神の自由を規制する立法は、その要件が明確でなければならないという考え方です。
 ルール自体が漠然としていては、規制を受ける側がどこまで許される行為で、どこからが許されない行為かわかりません。その結果、規制を受ける側が必要以上に萎縮してしまう危険性を持ちます。ゆえに、原則として曖昧なルールは無効になります。これを「漠然性ゆえに無効の理論」といいます。
 またルールが一応明確であっても、規制の範囲があまりにも広く、濫用されかねない可能性のある法令では、表現の自由に重要な驚異を与えかねません。よって、この場合も原則として無効となります。これを「過度の広汎性ゆえに無効の理論」といいます。

知る権利

 知る権利とは、国民が情報を受け取る、あるいは国家に対して情報の公開を請求する権利をいいます。
 知る権利を保障する規約は、憲法上は明文化されていません。しかし、21条1項には以下のようにあります。
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」
 この条文が保障する表現の自由を達成するためには、知る権利は必要不可欠です。なぜなら、情報を知らなければ、表現を行いようがないためです。
 特に現代社会においては、情報が持つ価値が飛躍的に増大しています。表現の自由を受け手である国民の側から捉え直す必要があります。

 知る権利は、自由権(国家からの自由)です。
 しかし、それだけにはとどまりません。知る権利は参政権(国家への自由)的な役割も持ちます。なぜなら、個人はさまざまな事実や意見を知ることによって、はじめて政治に参加することができるからです。
 さらに、知る権利は、積極的に政府情報などの公開を要求できる権利でもあります。その意味では国家に政策を立てさせる社会権(国家による自由)でもあります。

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