基本的人権の限界

 日本国憲法では、基本的人権を生まれた時点から当然に与えられるものであり、それは侵すことのできない永久の権利であると定めています。つまり、基本的人権は、法律によっても、あるいは憲法改正によっても侵してはならない権利としているのです。
 しかし、それは人権が無制限に存在するという意味ではありません。
 日本国憲法12条には、
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」
 と定められています。
 また、13条には、
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
 とあります。
 人権は個人ひとりひとりに与えられるものですが、個人は社会との関係を無視して生きることはできません。そのため、人権は他者との人権の関係で制約されることがあります。これを基本的人権の限界といいます。

公共の福祉

 日本国憲法は、公共の福祉によって、基本的人権が制限を受けることを定めています。
 基本的人権は国家権力によって侵害されることは許されません。しかし、人権の保障が無制限に認められるわけではありません。
 ある個人の人権と別の個人の人権がぶつかりあったときに、その衝突の調整の限りにおいて人権が制約されます。このような人権と人権の矛盾、衝突の調整の原理が公共の福祉です。このような調整を比較衡量といいます。

比較衡量論

 比較衡量論とは人権を制限した場合の利益と人権を制限しない場合の利益とを比較して、その大きさを比べる考え方をいいます。
 比較衡量論は、博多駅テレビフィルム提出命令事件や全逓東京中郵事件などの判決に採用された考え方です。ただし、過去の判例に使われているからといって、欠点がないわけではありません。
 利益の大きさと比べるということは、単純に言えば利益を受ける人の数を比較することにもなりかねません。これにより、多数の利益を優先し、少数の利益は軽視される傾向があるのです。比較衡量論は有効な考え方ではありますが、必ずしも万能ではないのです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする